年齢や立場、時間を超えた個人とのお付き合い。

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先日、専門学校講師時代の学生さんのお誕生日という事で、お祝いのメッセージをお送りしました。

ここのところ、SNSを通じてしばしば、いろんな方々にお祝いのメッセージをお送りさせていただいています。その方がお生まれになった記念日、特別な日。そんな日のお祝いの気持ちと、その後の私とのご縁に感謝しつつ、簡単な定型メッセージではありますが、気づける範囲で続けている習慣です。

そのひとつでした。今回のメッセージも。

どうしてるかなぁと思いながら、もう何年もお会いする機会もなく、気づいた時の誕生日メッセージだけのやりとり。

そんな彼女から、メッセージに返事をいただきまして。

「卒業して20年、もう一度新しい環境で自分の専門について学び直す事にしました。」とのこと。

おお、もうあれから20年経ってしまったのかぁ。。。という積み重ねた時間を感じつつ、その上で、もう一度学び直すというそのチャレンジ、姿勢に「素晴らしい!」と共感した次第です。

彼女も当時は学生さんとはいえ、20年の月日とともにお過ごしな訳でして、私との年齢差もそう大きくない年下の女性なわけでして、そんな彼女が改めて学び直すという機会を自ら作り出した事に、仕事へ向き合う真摯な心構えを感じ、立派な大人なんだなぁとあらためて思ったというかなんというか。

もちろん、具体的に何をどのように学ばれるのかは察するしかありませんが、その学びのチャレンジにまず称賛の拍手をお送りしたいという気持ちになったのです。

加えて。。。。2つ目。

これは、先日。特定非営利活動法人SCIXの美斉津さんとのお時間でも話題になりましたが。

弟子が師匠を超えていく。そういう瞬間を喜ぶべきだが、喜べない人たちがいると。。。

これと同じ話ではないですが、当時は私が講師、彼女が学生だったけど、そんな事はその時の立場や役割分担がそうだっただけで、当然、いつまでもそうであるわけではないと。親子は、いつまで経っても親と子というフレーズはちょいちょい出てきますが。学生と講師は別。何なら最近、親子もまぁ親と子が逆になる事はないですが、子どもが親の何かを超える事は、日常的に起こっていて、私たちは、いつも個人でありながら、社会の中で生きていく上で、その都度さまざまな役割、立場に立ちながら、それを演じ、担い、責任を果たすという時間を過ごしているのだなぁとも思ったわけです。

これが、年齢や立場を超えた個人とのお付き合いという事かと。。

意外と私、うちの子どもたちともどこか、子どもと親と言うよりは、彼女と私。という意識の方が、小さい頃から強かったりして、これがいいのかどうかはわかりませんが、そういう感覚でお付き合いさせて頂いている方が、しっくりきてたりしています。とは言え、まぁまぁその感覚は、決してドライに個人主義で行こうとか、そういう話ではないのですが。

で。。。もうひとつ。これが3つ目になりますが、時間を超えたお付き合い。

前段でご紹介している誕生日メッセージへのお返事が、当時私と同期で専門学校に入って仕事を共にし、その後病気が発覚、15年前に若くしてお亡くなりになったある女性のお名前とともに、「その方に恥じぬように頑張ります」と結んでありました。

当時同期入社で複数名いらっしゃる中でも、特に担当学科が近く、私も非常勤でその学科の授業を受け持ったりしていた事もあって、学生を出たばかりの私に、仕事の進め方などを教えて下さった、同期で先輩という方なのですが。

お亡くなりになった後、よく知る連れ合いの方が、再婚されるまでは、命日にお線香をあげに伺って、都度、今の自分は「正しく生きているでしょうか?」とか「間違ったことをしていないでしょうか?」とか。「すべき事をやっているでしょうか?」とか。そう問いながら、先輩であればどうお答えいただけるかなぁなどと、自分を見つめ直す機会を頂いておりましたので、卒業生の返信メッセージにその言葉があったのを見て、何か、チームというか、繋がりというか、同じ想いというか、そういう親近感を感じずにはいられませんでした。

さてさて。。。

ヒトの評価を気にしすぎて、自分を見失ってしまうという話もありますが、こういう個人との対話で「自分のままでいいんだ」と安心する事もあります。「自分のまま」は、「今のまま」でいいわけではありませんので、新たな事にチャレンジして、失敗しても成功しても、次に向かってひとつずつ積み重ねていく事。できる事をできるだけ。

で? 今日できた事は? (*^ ^*)b